鈴懸の径

ここだけは急がない言葉

文化にはあまり貢献しないと思う

文化に貢献するってそもそもなんなんだ。www.nikkansports.com

例えば人気が出て売れることを文化への貢献とするかというと、それが後世に残らなければ一過性の流行にすぎないので違う。

権力を痛烈に批判する行為が文化への貢献かというと、批判した人、内容が後世に残るほどのものでなければ文化への貢献とは呼べないのでは。

 

文化を生むというのは、つまりは様式を生み出すこと。マイク一本をはさんで2人か何人かで人を笑わせるおしゃべりをする様式が漫才で、これを確立したのが誰かはわからないけど、これが何十年の前から今も同じように行われている。外国にはそれがないのだからこれは日本の文化といえるのではと思う。

もう一つの命題、その文化に貢献するとは何か。価値を高めるということなんだろうけど、たとえば漫才形式で権力を批判するという様式が、残すべき社会的に価値のあるもの、文化として大衆に浸透させるべきものという認識があって、初めて茂木さんの批判も的を得るように思う。

文化の向上とは、以前とある舞台監督の方に小一時間語られた話では、言葉、というか説明を必要としない共通認識が生まれることだそうだ。文化レベルが高いというのは、あ、と言えば、うんと応えられる関係性を生み出すこと。

漫才に限らずお笑いは、その名の通り人を笑わせるために行うもののはずだが、それを文化と呼ぶのはいいとして、その貢献の仕方が権力に相対するかすり寄るかといった姿勢はあまり関係ないのではと思う。

権力に迎合することは確かに面白さにはつながらないんだろう。批判的に見るから新しい道筋に出会うことがあるということはある。ただそのスタンス一つで貢献ができる人とできない人と区分することはできないだろう。

なぜなら、政治的なスタンスと文化の作り方は関係ないから。

大衆娯楽文化は権力から遠ざかって、ほめも攻めもしないことで非日常をえることに文化的な価値を感じることは誤りではないだろう。ディズニーランドもジェットコースターも映画館もライブハウスも同じだ。

「文化」とは大きく切りすぎた茂木さんの批判も言い訳も、残念ながら刺さらない。